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姉川 (通報艦) : ウィキペディア日本語版
姉川 (通報艦)[あねかわ]

姉川(あねかわ/あねかは〔明治39年3月8日付 達第26号。〕)は日本海軍通報艦。艦名は滋賀県姉川に因む〔『日本海軍艦船名考』、p. 150。〕。ちなみにロシアでの旧名である「アンガラ」も河川名であり、発音が似ているから「姉川」としたという推測もある〔『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p117-118。〕。
== 概要 ==

元々はイギリスのクライドバンク社で1898年(明治31年)9月に進水したロシア義勇艦隊の汽船「モスクワ」。オデッサからウラジオストク旅順へ陸兵や軍需物資を輸送していた。日露間の緊張が高まったため1903年(明治36年)に15cm砲4門などを積み仮装巡洋艦に改装、「アンガラ」と命名され同年末に旅順に来港した。
日露戦争開戦後の1904年(明治37年)3月に備砲を撤去し病院船となっていたが、ロシア海軍は日本側にきちんと通告していなかった。そのため旅順陥落で自沈していた本船を日本軍が浮揚し整備、1905年(明治38年)6月3日に「姉川丸(あねかわまる/あねかはまる)」と命名〔明治38年6月3日付 達第71号。〕、翌1906年(明治39年)3月8日に通報艦「姉川」とした〔明治39年3月8日付 達第29号。#海軍制度沿革巻八p.68にも記載がある。〕。
戦後にロシアから病院船の拿捕であると抗議を受け、結局明治天皇からロシア皇帝に贈与する形で返還することとなった。1911年(明治44年)8月22日除籍し宮内省に移管する。9月2日呉港を出港し同月6日のウラジオストク到着後、同地でロシアに引き渡された。
船名は「モスクワ」に戻る。1916年(大正5年)11月に「ペチェンガ(Pechenga)」と改名、1922年(大正11年)までは機関不能の状態でウラジオストクにあった〔この部分は『日本軍監史 第7巻』p445による。『聯合艦隊軍艦銘銘伝』では「アンガラ」に戻ったとする説と「ペジェンカ」と改名したという説があるが、極東地域で長期に渡って就役していたようである、としている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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